<美味しいという呪い>
こんにちは。
自然派ワインとフレンチ「Bistroむじか」の伊藤です。
いつも「美味しい」って何?
という事を考えています。
まず、飲食店の場合「美味しい」は当たり前。
でも同時に
「美味しくなきゃいけない」
「美味しくて当たり前」
も変な常識だなって思ってます。
でも「美味しくなくていい」ではありません。
味覚としての「美味しい」にこだわりすぎて
「食」の持つ「楽しさ」を忘れ、
料理の評価をアレコレ始めると食事がつまらなくなるんじゃないか?
と言うこと。
次は家庭の場合。
味という部分での「美味しい」は前提条件ではありません。
いいんですよ。
美味しくなくても。
もちろん美味しい方がいいとは思います。
でも家庭での「美味しい」は
味以上にその食事をする時間に起因すると思います。
誰かと食べるにしても1人で食べるにしても
その時間を大切に過ごすことが家での食事の「美味しさ」なんじゃないかと思います。
食べる方も作る方も
味としての「美味しい」にとらわれると
本当に大切なものを見失いかねないんじゃないですかね。
この味に対する「美味しい」にとらわれた状態を
私は「美味しいという呪い」と呼んでます。
この呪いは私の思う「美味しい」を奪っていきます。
もちろん私のお店も私の料理人としてのあり方も奪っていきます。
食べる物だけではなく
食べること自体に意識を向けてみると「美味しい」の定義が
変わると思いますよ。
「食」って人を良くするって書くって言いますしね。
ちなみに私の場合、
3000円くらいの洋食ランチとファストフードは同じです。
パンとコンビニのコーヒーを公園で食べる方が贅沢で美味しい。
私にとってはこっちの方が非日常だから。
こんな風に「美味しい」の常識や定義なんて
場所や目的が変われば変化する曖昧なものですから。
そんな風に思ってます。
「美味しい」は、
味だけで決まるものではない。
私はそう思っています。
だから私のお店では、
料理と一緒に、その背景やストーリーもお出ししています。
味覚だけでは届かない「美味しい」があると思っているからです。
そんな話は、またそのうち。
