『料理のグルーブ』ー「ちょっと何言ってるのかわからない」と言うおはなし
ーわかるかなぁ。わからないだろうなぁ。私?わかりません。ー

もう12月ですね。
今年もあと少し。
次はこの文章は10月に書いていたもの。
なんとなくこの時期になってしまった。。。
この記事を書こうと思ったのは10月にディアンジェロが亡くなった
という知らせを聞いたのがきっかけ。
いつも「音楽と料理は似ているな~」と思っているので
その気持ちを一度文字にしてみようと。
今年の10月14日にディアンジェロが亡くなった。
51歳。この文章を書いている2025年現在私は50歳。
年が近いこともあるのか彼の死に強い衝撃を受けました。
元々ブラックミュージックが好きだった私。
あの独特のリズムに魅了されていたわけで。。。
ディアンジェロのリズムは正確だけれど少しだけ遅れていた。
あの独特の揺れを出すのはすごくむずかしい。
私はベースを弾いていたからこそ余計にあの心地よいリズムに魅了されたのかもしれません。
音がわずかに“後ろから”乗ってくる。
「ついてくる」と言った方が伝わるかもしれませんね。
その微細なズレが、逆に前へと進む力を生む。
遅れているのに、遅れていない。
推進力となって全体を進めている。
そこに、命の躍動感を感じたのは私だけではないのでは?
そんなグルーブ感=躍動感は料理にもある。
正確さの中にある、ほんのわずかなズレや違和感。
このズレの中に、作り手の哲学や味が宿るのだと思う。
料理を「生命の再生」と定義すると
生命は各料理人の中にある“ちょうどよいゆらぎ”の中に宿る。
だから料理をするとき
特に火を扱うときは
ひとつの命を育てているような気持ちになる。
実際、私のお店では肉を焼いている過程をお客さんが見ることができる。
そんな時は「今、育ててますのでゆっくり見守っていてください」
なんて声をかけて一緒に肉を育てている。
そして焼き上がった肉を切る。
その生き生きとした断面が現れる瞬間、
ふと、呼吸が止まる。
そこには、確かに“生”が宿っているように感じる。
そんな時は自然に微笑みがこぼれてしまう。
まさに「官能的」。
この官能こそが、料理のグルーヴ。
料理とは、命の再生を静かに見守る行為であり、
言い換えれば生命のリレー。
そんなリレーの担い手として
自分のリズムとグルーブを信じて
そして磨きながら
これからも厨房に立とうと思います。
最後に。。。
何言ってるかわかんない。
そんな声が聞こえてきそうです。
私もよくわかりません。
そんな方はぜひお店でお会いしましょう(笑)
その時までに言語化できるようにしておきますね。
Bistroむじか
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